Red

島本理生『Red』中公文庫
村主塔子
村主真
翠ちゃん
麻子さん
由里子さん
鞍田さん
小鷹くん
最後のエピローグの部分の娘の回想シーンに自分と重なるものを感じた
親の不仲を覚えていること、そしていまは普通に暮らしていること
読み終えて思ったことは、
当たり前のように一人一人には自分だけが抱える悩みがあること
それはどんなに些細なものであっても自分にとっては闇にも思えるものであって
それは家庭状況に関連してることも多い
結婚するってどういうことか、
生涯でただ一人好きになった女性と一緒になったこと
そう伝えた真の言葉はほんとうだったんだ、と最後に痛感する
彼が塔子に親同士の離婚とその後の話をちがうように話させたのも
彼がやっと見つけた人を手に入れるためだったの
全てを知るとそうするのは仕方がなかったのかもと思える
でもそれは相手の立場を理解しようとしていないことでもあって
自分が溺れそうなときに手を差し伸べてくれた人は
自分が思っているよりも余裕がない人なんだよ
鞍田さんも
小鷹くんは人を本気で好きになれない
だから結婚する相手に求めることは
ほんの一瞬でも相手と熱い関係になれること
翠ちゃんが中学生になって
終わるためじゃなくて少し変わるためにタバコをたくさん浸した水を飲んだ
結局は気分が悪くなっただけだった
変わりたいと思うことは,結局は今の現実を受け入れることから始まるんだな
鎌倉でお参りをしたとき、
彼氏が欲しいです、私だけの味方をください、そう願った
ほんとうに私もそう思った時があった
いまもきっと心のどこかでそう思っている
私だけの味方
そんな人いるのだろうか
きっといない
私が助けを求めて必死にしがみつく人も
どこかで誰かに助けて欲しくてしがみつこうとしてるかも知れない
そう感じる話だった
家族という集団の中で
でも確実にそれぞれは1人で生きてゆくのだ
そう感じた
でもいざとなるとその枠組みが助けとなることがある
癌になった鞍田さんのように
難しい
意外と心の助けとなるのは友達なのかもしれない
そう思う
なぜなら、自分たちの行動をある意味包み隠さずに話すことができるから
それを話した程度で崩れるものではないから
胸の内を表面上で吐き出させてくれるから
たとえほんとうのほんとうの胸の内を話すことができなかったとしても
愛すことができればいいのに
愛されなければ意味がないと謳う世の中の戯言
現代の女性は
家庭では夫を支える妻として、子どもを育てていく親として、
職場では男性と同様に働くことを求められつつも、生きていく
家庭にじっといることで女らしさが消えて母となっていく
それに抗うように働くことで外向けの格好は取り戻せるが
愛は続くのだろうか変化の中で
夫は女として自分を見てくれるのだろうか
夫を男として見ることはできなくなるのか
働くことで外向けの外見は取り戻されるが女らしさはさらに遠のくのではないか
周りから見て幸せで充実しているように思われるなかで孤独を感じていた時
誰かが自分をまっすぐに見つめて思ってくれたらその人のもとへ自分も行きたくなる
そう思った
人生において
友人との時間は長く、その関係性についても長く考え触れてきている
だからか友人関係は比較的早く築くことができるし、加えて自分から取りやめることに罪はない
対して結婚は圧倒的に少ない経験であり、
それ自体についての考えに深く触れることは少ない
なのに一度してしまったら、それを自分から壊すことによって、
子供がいた場合に大きな影響を与えることになる
なのに人は結婚に慣れていない
自分の育った家庭から家族と結婚を考え直しておくこと
それは大切なことだと思う
塔子が子供を大切に思うから、母親として生きることを決意したのはいつだったのか
そのような決断が最後にあったから、救われる話だと思った
母親として生きることによって自分の人生の軸がなくなりそうになる
それが私は一番怖いと思った
友人への愛と恋人への愛について考えたいと思った
友人へは愛があることを伝え慣れているし
わたしは伝えているつもりである
それは私がその人が好きだからである
自分が相手を恋愛的かは問わずに好きか、がわからない時
自分が伝えるかもしれない愛が
無情に貶されるかもしれない
それを恐れることは私も小さい頃の経験があるからかもしれないと感じた